虹(長文)




今週は雨が多い。


写真は、今週見た虹。


写真では上手く撮れなかったけど、色がもっと鮮やかで、まーるく円を描いていて、とても綺麗だった。

息子と見て、2人で感動した。

***


最近、また息子のことで無駄に悩んでいた。

息子の頑固さや神経質なところ、落ち着きのないところ、感覚過敏なこと。

どうしたらこれらが軽減されるのか、についてずっと考えていた。


でも、先日、ある人に言われて「はっ」と思った。


「息子さんの気質をどうにかしようとするんじゃなくて、そのままを認めてあげたら?」

・・・

そう、そのとおりだと思った。


頭では分かっていたつもりだったけど、言われるとはっと我に帰る。


わたしは、息子のことをこのままじゃダメだと勝手に決めつけて、自分の好きじゃないところや受け入れられないと思うところを、なんとかして変えていこうと必死になっていた。

そしてそれが将来、社会で生き抜いていく息子のためになると思い込んでいた。

でも、その一言で気づいた。

それは、過干渉で他人をすぐにコントロールしたがるわたしの母親と、やっていることがまるで同じだということ。

そしてわたしは、それが小さい頃から、とてもとても嫌だった。

しかし、わたしも今、同じことをしているのかもしれないということに、ようやく気づいた。

もともと、そのままでいいと思えないのは、きっとわたしの都合であり、わたしの基準でしかない。

わたしが嫌な気分になるから、わたしが恥ずかしい思いをするから、わたしが困るから・・・

全部、母親であるわたしの都合なだけ。

息子のありのままを認めていたいと思いながら、全然、そうじゃなかった。

もちろん、時には母親の感情をぶつけてもいいと思うけど、それと自分の理想に当てはめるというのとは、話が違う。

わたしはきっと、いつも他の母親に対してコンプレックスがあるのだ。

昔から、息子が育てにくい子だったために、いわゆる平均的というものに対して、ひどいコンプレックスがあるのだ。


でも、息子の激しい気質や性格は、生まれもったもので、そうは変わらない。

感覚過敏も、訓練でどうにかなるものではない。

そんなことで2人で喧嘩してたって、いつまでも拉致があかない。

変わらないのなら、母親であるわたしが、変わるしかないと思えた。


母親の努めは、息子の一番の理解者になること。


その人の一言で、心からそう思えた。

子どもは自分の所有物ではなく、ひとりの人格をもった人間。

だからこそ、意見が違うことは当たり前だし、たまたま同じになることがあっても、決して思い通りになることはない。

仕事として、他の家の子どもに対してはそれができているのに、なぜ我が子ではできないのか。


きっと、ちょっとしたコツが必要なのだろう。


それからは、とりあえず、自分の負の感情は排除して、息子の気持ちを一番に考えてみることにしている。

息子が今、どういう気持ちなのかを察してみる。

それで、ずいぶんと気持ちが楽になった。

息子が自分でそう思い、そういう行動になるのだったら、それはそれで仕方ないと思えるようになった。

きっと、客観的に見れば、それはきっと難しいことではない。

問題はいつも自分自身だ。


そして、もう一言、その方が言ってくれたことがある。

「幼児期で一番大事なことは、親子の関係を安定させることだ」と。

嫌なことを無理やりさせることが必要かどうか迷っていたわたしは、これでまた違う視点に気づけた。

とにかく、できないことがいくつあってもいい。

同級生に比べて、幼くて、感情の起伏が激しくて、扱いにくくてもいい。

社会性を身につけるのが、どれだけ遅くてもいい。

気持ちを理解してあげて、息子が楽になるのだったら、それが一番だと思えた。


結局は、自分の未熟さに、また気づけた一週間だった。





ワークショップで気づいたこと

今日は久しぶりに会ったお友達と一緒に、近所の製作のワークショップに行ったりして楽しんできました。

このお友達と会うのは半年ぶり。

お互い成長していてびっくりでした。

でも、息子は体は成長しているけど、心の方は、なんだかあんまり成長してないなあ、と今日一日で気づかされました。f^_^;)


息子は相変わらず、構ってちゃんの乱暴者で、このお友達が大人びていて優しい性格なのをいいことに、押したり暴言を吐いたり、散々な一日でした(~_~;)

何度注意したことか…母は本当に疲れました。(;´Д`A


それなのにこのお友達、息子に泣かされても、次の瞬間にはすぐに機嫌が直っていて、また息子と遊んでくれる…。

なんていい子なんでしょう…。(T-T)

息子ももちろん、基本はいい子なんだけど、ちょっと自分よりこのお友達の方が注目されていたりすると、途端に臍を曲げたり、ワガママ放題になったりして、本当に手が焼けるんです。

昔からそうなのだけれど、今日はそういうことが顕著に見えて、母は反省しました。

きっと息子は、まだまだ自信や自己肯定感が足りないんだろうな、と。

もっと自分のことを見て欲しい。
褒めて欲しい。認めて欲しい、、、。

それって、きっと自信がないことの裏返しなんですよね。

すぐに攻撃してしまうのも、日頃からストレスを抱えているんじゃないかと、このお友達のパパにも言われました。

それは、十分に満足させてあげられていない親の責任です。


何にせよ、息子の特徴を改めて客観的に見れたので、自分が何に悩んでいるかがなんだかはっきりして良かったです。

もっと息子に色んな経験をさせて、できることを増やし、自己肯定感を高めてあげたいと、久しぶりにそう思いました。


子育てって、もちろん可愛いだけじゃない。

大変と思うことの方が多かったりする。

でも、子どもが育ってくれるのは何よりも嬉しいもの。


息子が大人になった時に、このジェットコースターみたいな毎日をどう振り返ることができるのか。

きっと懐かしく思うに違いないと思うから。


あいうえお

最近、急に字に興味を持って、色々と書き出した息子。

平仮名を読むのも早くなった。

わたしは特に何もしていない。

息子のタイミングに合わせて、間違っていても何も言わないし、やりたいようにやらせている。

前はお絵描きや平仮名を親のペースで一緒になってやっていたけれど、それではやらされている感満載だったらしく、全然長続きしなかった。

今は、とにかく親があれこれ言って嫌いにならないことが一番だと思って、何も言わずに見守っている。

息子は毎日ペンを持って、何やら書くのが楽しみのようだ。

自然にしていると、人間は自分から学びたい意欲が出るものなんだなと、しみじみ思う。






条件付きの愛

条件付きの愛は要らない。

朝からいろんな人と話して、いろんな人の話を聞いて、そう感じた1日。

「〜しなきゃ、〜してあげない」みたいな。

わたしが一番、それしてたなぁ〜。

わたしが子どもの頃に、良く思っていた。

「勉強頑張らなきゃ、親に認めてもらえない」

とか、

「合格しなければ、自分はダメ人間だ」

とか。

すべて、そのままの自分を認めていないということ。

そして、周りから認めてもらえないように感じていたこと。

無意識のうちに、わたしも他人にやっていたみたい。

息子には、それはしたくない。

そのままの息子でいてくれたらそれでいい。

そしてそのまんま、みんなを、丸ごと愛せたらいいなぁ。


登園を渋る理由

お盆にたくさん遊び回って、また保育園に通う毎日となった息子だが、日によって、登園を渋る日とそうでない日がある。

わたしの登園前の接し方が大きな差を生むのだろうかと以前は思っていたのだけれど、やはり、そうではないかも、と最近思いだした。

というのも、朝の受け入れの先生によって、ずいぶん息子の態度が違っているから。

息子が信頼している、もしくは「好き」と言っている先生だと、泣かずにさっとお部屋に入れるんだけど、あまり好きではない、あるいは慣れていない先生だと、てきめんに嫌がる。

いつもの担当の先生がお盆休みだったりして、先週〜今週はそれが多いので、ようやく気づいた。

それを見ていると、登園の際もしかしたら、
「自分は今日1日、充分に受け入れてもらえるのだろうか」
というような不安が、息子の頭によぎっているんじゃなかろうか、と思った。

わたしが保育園に行く立場だったら、どんな時に渋るかな、と想像してみると、きっとそういう風に思うと思う。

この先生は、今日1日、自分を受け入れてくれるだろうか。
自分の話をきちんと聞いてくれるだろうか。

息子は人一倍、自分に構って!!!
が強い子だから、そういうことを自分でも無意識のうちに、敏感に判断しているのかもしれない。

あまり馴染みのない先生だと、泣き出したり、不安な表情を顔いっぱいに見せるのは、そのせいだろう。

普段から、わたしの息子に対する受け止め方も足りていないのかもしれない。

だいたい用事ばかりを優先して、息子の気持ちを後回しにしちゃってることも多いので、息子の要求に対して、充分に受け止めているとはとても言えない。

だから息子は、自分の欲求に余計に固執するのかもしれない。

今日はお迎えに行ったら、充分すぎるくらいに受け止めてあげようと思う。

そう言いながら、時間が経つとまた「イラっ」と来てしまうことも多いので、本当に胸に刻み込みたい。